ニック・ロウとベイ・シティ・ローラーズ
本日、NHK-FM にて「わが青春のベイ・シティ・ローラーズ 」が放送されました。そこで、つい最近知ったことでこれはメモして置かなければという事実を記しておきます。
この番組のタイトル通り、我が青春時代はまさにベイ・シティ・ローラーズ の全盛期でありました。当然ヒット今日は殆ど耳しているのでかなり嬉しい特集番組です。当時BCRは完全なアイドルであり、同年代の男子からはある意味嘲笑される存在であったのですが、彼らと話を合わせながらも、ポップス好きな私はけっこう気に入って聴いていました。シングル盤とかも持っていたりするのですが。そういった、大ブームの中で便乗商法的な、歌やグループもたくさん出てきました。この手の関連商品的な企画が結構すきなのですよね(ビートルズのトリビュート曲関連も大好きです『歓迎会 〜 ウェルカムソング』)。
そこで、BCR関連の曲を調べていたところ驚くべき事実に突き当たりました。当時便乗商品ソングとしてある程度ヒットしたこれらの曲。ニック・ロウのプロジェクトだったのですね。
- The Tartan Horde - Rollers Show
- Bay City Rollers We Love You / TARTAN HORDE
日本でもジャニース・ジュニア・スペシャル(JSS)によってカバーされてそこそこテレビでも露出がありました。そのほか、ローズマリーというBCRまねっ子バンドとかもありました。
- バイ・バイ・ベイビー / 郷ひろみ
天下のヒロミ・ゴーもカヴァーしています。
- 可愛いひとよ / Rosemary
ピンでアイドルだった伊丹幸雄のいた、BCR便乗バンド。
70年中期当時、私自身まだ、音楽を深く追求するような聴き方ができているわけもなく、漠然と後追いやリアルタイムに流行っている曲を聴いていたわけです。そんななかで、明らかに肌で感じていた雰囲気は、60年代後半から難しくなりすぎたロックへのポップスからの逆襲であったと思っています、それは、BCRのように純粋にポップなバンドから、パンクロックのようなシンプルなロックン・ロール(パンクはその社会性から過激であるように思われていますが、音楽的にはきわめてシンプルですからね)など復活であったと。そんな時期に、なぜ、エルヴィス・コステロやプリテンダーズなどのパンクの元祖ともいうべきバンドのプロデュースを行なっていたニック・ロウが、BCRのトリビュートを手がけるたのかの意味が、今にしてみるとそれは必然であったようにも思えてきます。現実はほんの偶然なのかもしれませんが、そんな深読みが楽しいですよね。おなじイギリスから生まれたBCRとパンクは同じ物だったんですよ。(当時の自分は正しかった、うむ)
- ザ・ハイロウズ−ピストルズ日本公演前座Ⅰ
まあ、これはパロディではあるけれども、そう考えるといろいろな意味で感慨深い映像である。