映画「ジャンケン娘」による3人娘共演 「愛燦燦と…美空ひばり物語」 よりの気づき
昨日のあきれたぼういずといば、川田義雄(川田晴久)さんによる美空ひばりさんの後押しですね。というわけで、本日ひばりさん本からです。この本の3人娘部分の解説ですが、言われてみてそうですよね的な感想。素晴らしい才能ある少女が3人娘としていっしょになって、良きライバルとしてさらにそれぞれが成長したのですね。とうぜん、3人のなかではひばりさんが最初にスターになっているわけですが、1952年ジャズ歌謡ブームのなか、ジャズが得意な江利チエミさんが14歳にして「テネシー・ワルツ」を大ヒットさせ、一躍人気者に躍り出ました。これは、ひばりさん母娘はかなり気にしていたようです。この本につぎのようなエピソードが書かれていました。はじめて江利チエミさんとひばりさんが出会った時、後輩であるチエミさんから挨拶が無かったことにひばりさんの母親喜美江さんが快く思っていなかったとか、大阪千日前の大劇で「実演ひばり祭」の開催時期にその隣りの常盤座でチエミさんが実演をぶつけてきたことに、ひばりさん側は、明らかに挑戦であると受け取ったらしいです。しかし、そこでひばりさんの凄いところは、単に怒るのでなく、「じゃ私もジャズを歌ってやろうじゃないか」とジャズを猛特訓したそうです。そして、実際ジャズをレコーディングして、あの素晴らしいひばりさんのジャズの歌唱へとつながったのですね。
- LOVE / 美空ひばり
それを受けて、ジャズ専門であったチエミさんも和服を着て歌うことの出来る歌手を目指し、「さのさ」をうたったのだそうです。
- さのさ / 江利チエミ
どちらもすばらしいと思いませんか、やはり素晴らしい才能にはそれを伸ばしてゆく状況がおとずれてくるのですね。
そうした、かなり激しいライバル関係にあった二人の間に雪村いづみさんが入ることによって、3人娘として、お互いライバルでありつつ3人で人気を伸ばしてゆく構造ができあがったそうです。
その人気絶頂の3人娘を出演させる企画それが「ジャンケン娘」であったようです。それぞれで、いそがしい3人のを映画主演させるのはかなり大変な調整が必要であったようです。当初は、ひばり作品を多く手がけていた松竹企画であったようですが、企画途中段階で雪村いづみさんが新東宝の専属契約をしてしまったため、東宝と新東宝を結ぶ、プロデューサー杉原貞雄氏(のちの東宝ミュージカル全盛へ繋がっていくのでした)によって実現したのでした。その後も、チエミさん側のさまざま要望など、かなり調整は難航したようです。
このライバル意識の中と同年代としての気持とが微妙にバランスしていた3人娘であったのですね。
- Misora Hibari, Eri Chiemi & Yukimura Izumi in Janken Musume
このジェットコースターのシーン、ロケ地は当時の後楽園ですね。なんだか公園という感じでのどかさが残っているような。