SP講談 二〇世紀之大衆藝能 VOL.14〜 参加メモ2
2011-11-04 SP講談 二〇世紀之大衆藝能 VOL.14〜 参加メモ1のつづきです。
検証 歌謡曲からJ-POPへの道筋 3 口演のあらまし 本編
昨日に引き続き、瀬川さんのイベント参加メモの続きです。なんかほんとメモ書きの羅列で申し訳ありません。自分であとから色々と探求するためのキーワードメモですのでわかりにくいですが続けます。
本編のにての、ジャズからロックン・ロールへの変遷のあらましは、こんな感じからスタートでした。
50年代から60年代初頭は、ロックンロールの定着時期、ビックバンドからスモールコンボの時代でした。ジャズの世界でも、ビックバンドよりモダンジャズのスモールコンボへとなっていったようです。ロックということで弦楽器の位置付けの説明から、アーネスト・カイによるハワイやアメリカのジャズを導入。ベニー・グッドマンに代表されるスモール・コンボの話、その頃に電気(あえてこう呼んでた)ギターが注目されていた。また、バッキー白片さんも初期はジャズバンドでリズムギターを弾いいていたなどの前提知識の説明後に、時系列で歌謡曲をかけて行きました。
- 田端義夫「街の伊達男(ズンドコ節)」
2台のギターで演奏、リードギターが田端義夫さん。後半が洋楽っぽいフレーズ。伴奏はテイチクのテイチクミュージシャン瀬川先生談「テイチクの有名なギター伴奏者吉田末男さんではないか、田端さんはJAZZ好きで、戦前ダイナとか歌ってました。」田端義夫さんは、もともと春歌ベース作った曲であるためレコード会社がなかなかレーディングしてくれな方ため、大阪のスタジオで自主制作したらしい。
- ビューティー・フラ / 灰田兄弟
弦がたっている楽曲として紹介されました。瀬川先生談「エキゾチックですね、よくできています。ハワイアンは学生バンドを中心に流行っていました。」灰田兄弟がそうであるように、当時の学生バンドは中心となっていたのですね。
- 東京バガボンド / チャック・ワゴン・ボーイズ
井原高忠氏や男爵家の次男である黒田美冶氏の話など。音源はかかりませんでしたが、このチャック・ワゴン・ボーイズがバック演奏したひばりさんの「チャルメラソバヤ」オリジナルが無かったのでカバー演奏で。
- 小坂一也とワゴン・マスターズ~ワゴン・マスター
瀬川先生談「ちょうど映画ハイ・ヌーン(真昼の決闘)が流行ったころですね。」また、作曲のレイモンド・服部氏のことも少し触れました。中村とうようさんが、黒人のカントリーも存在したと言及していた話。
- 小坂一也/ハートブレイクホテル
プレスリーもカントリーからということで、小坂一也さんがカヴァー。瀬川先生談「日本ではさほどヒットせずでした。」カントリーからロックへ話をされ、日劇ウェスタン・カーニバルの前身は有楽町ビデオホール(よみうりホール)でウエスタン中心で行われていた。この流れで、曲直瀬プロダクションの渡辺美佐さん姉妹関連の話も触れられていました(ビデオホールでウェスタン・カーニバルを始めた曲直瀬プロダクションの姉に相談して日劇の方をヒットさせ、美佐さんにかっさらわれたことなど)
- 平尾昌晃 監獄ロック & ルシア
当時リトル・リチャードのカヴァーである「ルシア」かなり貴重であるとおっしゃってました。サックスなど、まだジャズの影響が強く残ってます。当時のジャズミュージシャンには1コードのみで演奏しているなどと軽蔑されていた話(北中さんはその報告へ話を振ろうとしているのですが、瀬川先生はあまりその話には乗ってこなかったようです)。この訳詞の「音羽たかし」という人物はレコード会社キングのスタッフの連盟のペンネームだそうです。キングレコードが音羽に有ったことかららしいですね。
- 山下敬二郎/バルコニーに座って
北中さんは、山下敬二郎さんが晩年まで、ハードロックンロールを歌っていた事を高く評価していました。こちらの訳詞の渡船人という人物も類似のペンネームであるだろうという話題をされていました。「わたりにふね」ですからね。
- 堀 威夫&Swing West / ロカビリー剣法
大瀧師匠も絶賛のひばりさんの最高傑作「ロカビリー剣法」この曲をインストでのカヴァーです。スイングウェストは、あのホリプロ創業者の堀 威夫さんのバンドということでも有名ですよね。これも、サックスがフィーチャーされており、まだJAZZ色が強ですね。作曲の米山正夫さんが色々なタイプの作曲ができるとみなさん評価されていました。北中さんは、当時、ロカビリーなどの洋風なものが時代劇に使われる感覚が嫌だったそうです。でも、当時の日本人はごく普通な感覚として受け入れていたらしいです。動画ひばりさんのバージョンで。本当は有名なチャンバラシーンの動画が良かったのですけどね。
- 坂本九 / GIブルース
「上を向いて歩こう」のブレイク以降にこのパンチの効いた唱法はみなさん高く評価していました。60年代になるとサウンドも唱法もだいぶ独特なものになってきています。この唱法関しては、プレスリーの唱法と母親の小唄のミックスしたものが米国で受けたとの話題が出てました。
- 田辺昭知とザ・スパイダース&フリフリ
それまで、ラウンジ的な楽曲を演奏していたスパイダースがビートルズ等のイギリスのサウンド影響を受けてクラウンからデビューした時の曲。三三七拍子を元にしたことは有名であり北中さんもおっしゃってましたが、さらに、じつはこれはブラジルの「バイーヤ」の影響を受けているのではないかとの解説でした(なるほど)。かなりソリッドなギターサウンドに仕上がっていますが必ずしも大ヒットというわけではなく、その後の浜口庫之助氏によるヒット曲路線になってしまいましたが、この曲が大ヒットしていればその後の日本のロック流れも大きく違っていたかもとのことでした。
- フォーク・クルセダーズ /
彼らの有名な自主制作盤「ハレンチ」からの曲。北中さんは当時大阪在住であり、サンケーホールで彼らのコンサートを聴いた時、この盤を見かけた記憶があるそうです。買っておけば良かったと非常に後悔されていました。この曲は彼らが様々なタイプの音楽性を持っていたことを説明するための選曲でした。ハリー・ベラフォンテ風都の説明。瀬川先生はあきれたぼういずの影響があるとおっしゃってました。
- Kyu Sakamoto / Sukiyaki
この日最後の曲としてこの曲を選曲していました。この曲はいわゆる、ジャズの感覚とロックの感覚がうまくミックスしている名曲であるとのことでした。象徴的なのはビートルズ抑えてビルボードNo1わけですが、その辺の事を瀬川先生は「当時のキャピトルのディレクターであるデイヴ・デクスターがいわゆるロックであるビートルズよりもよりジャズ的なものが好きだったから」とおしゃってました。この辺を後でググッて見たところこの記事を見つけました『上を向いて歩こう特集』
だらだらメモでまとめになってませんけど、かかった選曲で雰囲気はある程度お分かりになったかと思います、北中さんや瀬川先生の発言内容は、私のフィルターがかかってしまっているので正確でないことをお断りしておきます。やはり、歌謡史てきな大枠での特集は範囲が広くて詳細までは捉えきれませんよね。個人的にビートルズのデビュー直前の全世界的な音楽状況に非常に興味あったので有意義な時間を過ごすことが出来ました。