「誤解こそ文化のベンケイである」

これは、大滝詠一師匠の御言葉でありますが、このテーマで本日面白い曲を発見。それは、1979年発売のビーチボーイズの「思い出のスマハマ」です。発売当時はビーチボーズ自身低迷期であったし、当時の日本では、ビーチボーイズマニア以外はあまり聞いているひとはいなかったのでないかと記憶しています。事実、当時洋楽は聴いていましたが知りませんでした。しかしこの曲は、私が追求している外人が日本語を歌うシリーズにぴったりの曲でいいですね。しかも、かなり怪しい感じの曲です。しかも、あのビーチボーイズが歌っていたなんて、驚きです。ナイアガラーを自称していますが、正直この世界あまりに深いゆえになかなか全てを知り尽くすことができません。アクティブに活躍していた期間が短いのに未だに発見だらけなんですよね。ナイアガラの世界。なぜ、これがナイアガラの世界かというと、師匠がこの曲発売当時に流行歌論の連載をしている記事のなかでこの曲に関して触れているからなのでした。そこで、師匠のお言葉が「誤解こそ文化のベンケイである」なのです。

この曲と同じようなコンセプト曲として、バカラック名曲「ミー・ジャパニーズ・ボーイ」も取り上げられていました。どちらも、かなり中国よりに誤解された日本のイメージですね。

以前、取り上げた漣健児さんによる翻訳カバーの逆を行く流れとして紹介されています。このほか、有名な「SHO-JO-JI」についても語られていました。こちらも、「証城寺」=「SHOW GEORGE」という洗熊の名前になっているし、「マケルナ、マカロニ・・・」ですからすごいですよね。

これらのことは、古くはマルコ・ポーロのころから変わらない視点らしいです。

参考「私論 日本の流行歌の系譜 連載第一回 カバー・ヴージョン物語」より

しかし、相変わらず大瀧師匠の受け売りですが、自分のメモとしても意味も含めて。でも、面白いでしょ♪